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| ■巻頭詩 |
| 雲ひかる |
八木幹夫 |
| ■未発表小説 |
| 影に対して |
遠藤周作 |
| 解説 未発表小説「影に対して」のこと |
加藤宗哉 |
| 解説 遠藤周作未発表小説「影に対して」について |
川﨑友理子 |
| ■評論 |
| 病と力 “Le Mal, la puissance” |
ジャン=リュック・ナンシー
[訳]市川崇 |
| 病、危機、破局――ドイツ語現代小説と自然 |
ラルフ・シュネル
[訳]栗田くり菜 |
| 盗まれたウイルス――メルヴィル、カミュ、小松左京 |
巽孝之 |
| ■講演 アムバルワリア祭Ⅸ |
| 古代が新しい――作家が語る西脇順三郎 |
[登壇者]
諏訪哲史×朝吹真理子
[司会]八木幹夫
[ディスカッションのモデレーター]久村亮介
[オブザーバー]新倉俊一 |
■詩
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| 氷柱鳥夢ノ泡雪 |
十田撓子 |
■小説
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| フェイク |
吉村萬壱 |
| 勇士の面目 |
飯倉章 |
| 跛行 |
黑川英市 |
| ■特集 再読・安岡章太郎 |
| ナマリ色とスイノミ |
青来有一 |
| 動物的小説 |
小池昌代 |
| みそっかす川 |
持田叙子 |
| 歴史に流れる私――『流離譚』 |
小平麻衣子 |
| 記憶と歴史と安岡章太郎 |
武・アーサー・ソーントン |
| 安岡章太郎と集合的記憶への抵抗 |
ケンダル・ハイツマン |
■評論
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| 浄めとしてのオリンピック――エンペドクレスの奇跡 |
納富信留 |
| オリンピックの理念をめぐる思索 |
グンター・ゲバウアー
[訳]遠藤浩介 |
| 柔道を、トーキョーで |
イリヤ・トロヤノフ
[訳]粂川麻里生 |
■追悼 古井由吉
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| 古井由吉とドイツ文学者の呼吸 |
前田良三 |
| 「内向の世代」を引き受けて |
坂本忠雄 |
■随筆
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| フランクフルト(と)ソーセージ |
大濱普美子 |
■復活 学生創作セレクション7
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| ナラトロジー |
横山楓 |
| 解説 |
粂川麻里生 |
| ■短歌/随筆 |
| 千年を隔てた恋の歌のやりとり[第十五回] |
水原紫苑 |
| ■俳句/随筆 |
| 死季折々[第十六回] |
髙柳克弘 |
| ■映画評 |
| 電影的温故知新 [第八回] |
佐藤元状 |
| ■音楽評 |
| ラップの詩学[第七回] |
大和田俊之 |
| ■書評 |
| アリ・スミス『秋』(木原善彦 訳) |
河内恵子 |
| 藤原安紀子『どうぶつの修復』 |
杉本徹 |
| 室井光広『多和田葉子ノート』 |
川口好美 |
| ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』 |
巽孝之 |
| ポール・オースター『サンセット・パーク』(柴田元幸 訳) |
松村美里 |
| ■連載 |
| 予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学の言語革命――二〇二〇年と一九二〇年が問いかけるもの |
鎌田東二 |
| 「私」的OKINAWA通信(5) ――つなぐ言葉を探して⑤ |
崎山多美 |
| 『Dの研究』を中心にした柄谷行人論(七)――マルクスとエンゲルスの新たな結合へ |
浅利誠 |
| 新 同人雑誌評 |
柳澤大悟/加藤有佳織 |